グリーンハウスもそろそろ貸室が埋まりそうだとの事!
賃貸物件のせつないところ、というか一軒家の設計と違うところ。
それは完成するとオーナーさんが住んでる訳じゃないから、
「ピンポーン! ちょっと近くに寄ったんでご挨拶に、、、。」
っていう具合に立ち寄る訳にもいかないって事です。
ピンポンしちゃったら、それはそれで不審者ですよね、、、。
という訳で、娘がヨメに行ったからには父はなかなか気軽には家に入れない訳で、
そのあたりがとてもせつない気分になる共同住宅。
先日、オーナーの石原さんも
「大家としてはもちろん借り手が決まるのは嬉しいけど、せつないなぁ、、。」
とインスタに書かれていました。
「オーナー」という言葉と「大家」という言葉。
言い方の違いだけで、意味はそんなに変わらないのかも知れませんが、
僕は「大家さん」という言葉がとても好きです。
そこからイメージする覚悟や世界のようなものが。
さて話は飛びますが、
実は僕の佐賀の母方のおばあちゃんちは「駄菓子屋兼、下宿屋さん」でした。

エスエージーエーSAGA県の中でも城内地域といって
ちょっとマチの方だったので、
そんな商いが成り立っていたのでしょうね。
かたや僕が生まれ育った家の環境は、
田んぼか牛か、マジで噛み付く野犬しかいない有明海沿いの田園地帯だったので、
「佐賀の都会」であるおばあちゃんちに泊まりに行くのがとても楽しみでした。
駄菓子屋兼、下宿屋さんであるおばあちゃんちに泊まりに行くと、
不思議なことがたくさん起こったのです。
まず、夜になると知らない人が家のお風呂に入りに来ます。
まだ各部屋にユニットバスなんてない時代。
下宿屋をやっているおばあちゃんの家にとっては当たり前の事だったのかも
知れませんが、子供の僕にとっては、ただのナゾ、、、、???
「こんばんはー、お風呂いただきまーす!」
と毎晩、知らない人が玄関から入って来るのがとても不思議でしたが、
何よりそれを当たり前のように過ごしているおばあちゃんちがとても不思議でした。
知らずに開けると「ぎゃー」と女の人に言われたり、、。
住んでいる人たちは、僕の周りにはいないような派手めのおばちゃん達
だったように記憶しています。
時々朝になると、
「ほら、文鳥がたくさん生まれたわよ!!!」
とまた玄関から、お菓子の空き箱のフタにたくさんの生まれたての文鳥のヒナを並べた
金髪のおばちゃんが入ってきました。
「餌はこやってやるのよ、ほら。」
と注射器のような餌やり器を渡されたり、、、。

今思うと、水商売のおばちゃん達が下宿に住んでて、
副業で文鳥を増やしてたんだろうな、、、、という想像ができますが、
当時はそんな事想像できません。
佐賀のおばあちゃんちは、ただただ不思議な未体験のできる楽しい家でした。
自分ちなのに、他者や街の出来事が少し入り込んできている感じ。
でもそれが慣れるとあんまり嫌じゃないというか、
このごっちゃ混ぜのような暮らしがとても開放的で心地よかったし、
おまけに子供にとっては天国のような駄菓子屋でもあるし、という
今流行りの複合的な商い暮らしの原型のようでもありました。
今でいう、シェアですね、シェア。
僕のおばあちゃんは、現代を先取りしたような佐賀んまちの大家さんだったのです。
だからかも知れませんが、僕の暮らしや家や街の理想像に、このごっちゃ混ぜで、
部分的にあいまいにシェアしながら成立しているような世界があります。
どこからが街で、どこからが他人で。
もちろん大事なところは守りつつ、絶妙に成立しているような暮らし。
そしていつもこういう世界を成り立たせているのは、
建築でもシステムや契約でもなくて
いつもそばにいる素敵な大家さんなのですよね、きっと。
以前、ISANA(イサナ)という共同住宅を設計させていただいた時、「全部、将来私たちが住んでみたいような部屋にしたい」
と大家の下窪さんがおっしゃってくれて、各部屋の名前まで大家さんが決められました。

ご主人のインド出身のバシストさんは、
「私の生まれたインドの地域ではね、家を作る時には自分たちが住む家と
他人に貸す部分を同時に作るんです。
最初は子供も小さいから、小さな家に自分たちは住んでおいて残りは人に貸します。
だんだん手狭になってきたら、少しずつ貸している部分を少し自分の家族で使う
ようにしていきます。そして、子供達が出ていったら自分たちはまた小さく住んで、
残りを貸すのです。
またそのうち、子供達が家族を連れて帰ってきたら、一緒に住めるようにしたりもします。
そういう事がずっと続いて行くのです。」
とおっしゃっていて、
そんな物語が本当に起こるように考えて集合集宅を設計させていただきました。
実はこの10年の間に、入居者同士で結婚されたカップルが生まれたのも大家力の賜物でしょう。
グリーンハウスは、古いアパートの建て替えだったのですが
大家の石原さんが住んでいた人たちの事をとても
くわしくご存知で、まずそれに感動しました。
何よりグリーンハウスには元ニコのスタッフの細田くんが
住んでいて、それがご縁で出会ったのですから言わずもがなですね。
きっと、「大家さんをする」という事は、同居するかどうかは別として、
自分の人生に少しだけ他者を受け入れて、その人の事を
想像をめぐらしながら暮らす、という事なんじゃないかなーと思います。
だからそういう大家さんが作り出す世界はとても感動的で素晴らしいのです。
そういう意味では、アパートじゃなくても自宅でAirbnbをして他者を受け入れる
暮らしをされている飯島さんご夫婦も訪れるゲストに想いを巡らせ、
自分たちの生活を豊かにするスパイスにされていらっしゃいますし、
会うたんびに素敵なゲストとのエピソードを聞かせてくれます。
「月のとびら」として家をお預かりさせていただいている小田原さんに関しては、そういえば設計中から
「俺たちがいなくなったらさー、どう使われるか楽しみだよなー、この家」
と打ち合わせのたんびにおっしゃっていました(笑)。
だから現在、小田原さんの代わりに大家をしている事がとても心地よくて、
おかげで僕は毎週訪れるゲストの方々に暮らしの妄想をしていただいています。
この体験何かに似てるなーと思うと
それは前述した佐賀のおばあちゃんちでの暮らしなのかなと思ったり。

そんな訳でグリーンハウス。
実は、1階の角の101号室は、大家の石原さんが運営するレンタルスペースになる予定です。
まずは石原さんのピラティス教室を時々されるそうですが、ご近所の方とか、
入居者の方達も予約していろんな用途に使っていただく予定だそうです。
全室でそれぞれの生活が始まった時が楽しみですねー。

元々のアパートの時も、楽しく運営されていらっしゃったようですが、
さらに石原さんの中の「大家魂」みたいなものに火がついたんだろうなー、
と思ってとても嬉しく思っています。
アパートとか、マンションってとかく投資物件だとか、
利回り◯%ですからお得ですよーだとかで建てたり壊したり、
売り買いされている場合が多いのも現状です。
もちろんそういう資産運用的な部分も大事ですが、それだけだと
全然楽しくないっていうか、
それを満たした上でも、愛おしくなるような建築を作っていきたい。
だから僕は、「大家さん」になる、って覚悟を決めた人が大好きです。

グリーンハウス、
楽しみな未来しかありませんねー。