そうそう、そういえば、9月から明治大学で設計の授業をしていまして、
3年生を教えています。(教えられてるとも言います、、、。)
来週は、いよいよ1回目の発表会。
課題はあれこれ考えたんですが、
「さしだすデザインの発見」
というテーマで、実際の商店街を舞台に、街ををカンサツし、そこからの気づきや発見をもとに、
街を変える提案に結びつけていく、というちょっとあいまいな課題設定にしました。
なので、ものすごい小さなスケールの提案に行き着く子もいれば、
都市デザインのようなスケールの提案の子、それぞれ提案のスケールが違うのが
ちょっと面白いです。
初めてできた西久保班の学生は、7人。
みんなそれぞれに視点、興味が違って、個性的でおもしろく、
あっという間に授業時間が過ぎてしまいます、、、、。
そしてこの課題は、僕がいっつも設計の時に考えているテーマのひとつでもあります、、。

さて、3年生というのがどういう時期かと言うと、
僕が学生の頃とは状況も変わっててですね、
就職をしたい子は、3年の秋頃から就職活動が始まったり、大学院へ進学したい子は、
行きたい研究室をまじめに決めなければいけなかったり、、、、
いろんな事が、僕らの頃よりも前のめりな感じがします。
年齢的には、20歳とか、21歳とか。
要するに、人生のちょっとしたターニングポイントなのかも知れません。
設計に進もうかなぁ、、、進めるかなぁ、、、、向いてるかなぁ、、、。
間違って建築学科に来ちゃったかなぁ、、、、とか。。。。

じゃあ僕って、3年生の今頃、何してたかなぁ、、、、、と、
今日、帰りに電車で考えてたんですが、、、、、、。
ロクなコトしてませんでしたね、、、、。
ざっと思い出すと、まずは、ちょうど今頃、大失恋、、、、。
高校の頃から付き合ってた女の子を見事に社会人のオトナにかっさらわれて、、、、。
そうそう、この時期って、同じ歳の短大の女の子は、社会人1年目の華々しい時期で、
かたや、ボロい服着た大学3年生。。。。
、、、、たぶん、全国的にも、大学3年生男子はフラれやすい時期です。きっと。

と、そんな訳で、ようやく東京の女性にも目を向けざるを得なくなり、
遅ればせながら、東京人の第一歩を歩み始めました、、、。
で、じゃあ、失恋をきっかけに、設計にまじめに向きあっていたかと言うと、たぶんそうでもなく、
気づいたら、ついてしまっていた優秀なまわりの子達との歴然とした差をまざまざと感じながら、あせるばかり、、、、。
しかし一人前に、昼夜は逆転しているため、
目覚ましテレビで、なっちゃんにおはよう、と言ってから寝るような生活だったなぁ、、。
そんな時期に、ちょーど、仲良かった、これまた佐賀の近くに住む友達も、
同じパターンでフラれたもんだから、それからは、傷をなめあうように2人でパチンコ三昧の日々。
そんな私生活を送りつつも、売るように時間はある訳で、
もともと英語には興味があったので、英語の勉強はまじめにしてたなぁ、、、。
自分の努力不足を棚に上げて、
「きっと日本が僕に向いていないんだ、海外だ海外。」
と、海外進出を、ひそかにもくろみ、小田急線で可愛いガイコクの留学生ぽいお姉さんを見かけるたびに、
「ハーイ ハワユー?」
と、英会話実施レッスン。。。。

アルバイトは、家庭教師と、塾の先生。、、、、国語の。
あとは、設計事務所、少々。
この頃まで、まじめに国語の先生になろうか、ケンチクに進もうか、、、
(そもそもこんな状況で、ケンチクに進める訳がないし、冷静に状況を判断すると、きっと僕には向いていない)
と、悩んでいました。
そんな訳で、バイトでずーっと小学生達と接してたんですが、
子供と接するのは楽しかったですね。
同時に、東京の小学生は大変だなぁ、、、、
ずいぶん、佐賀とは違うなぁ、、、、、
もっと子供時代って受験以外にやる事あるんじゃないの?って思っていました。
これが、3年生の春に、インド へ一人旅した事で、
ずいぶん、世界の子供達と、東京の子供達は、違うなぁ、、、、、に変わり、
結果的に、それが、卒業設計のテーマにつながる訳ですが、、、、、。
そうそう、沢木耕太郎の深夜特急よんだりして、
一人旅、よくしてましたね。
地球の歩きかたばっかりながめてたなぁ、、、、。

、、、こう、事実だけ書くと、どんだけバカかと思うんですが、
ケンチクへの情熱は、しっかりあったのです。
ただ、学校でみんなが話しているケンチク、大学の授業で先生に誉められる生徒のケンチクと、
僕がいいな、と思えるケンチクは、ゼンゼン違う。
だから、僕がいいな、と思うものは、ケンチクではないのかもしれない。
だから、僕がやりたいのは、ケンチクではないのかもしれない。
ケンチク雑誌に載ってるケンチクは、少なくともひとつも好きではない。
そう思っていました。
思うだけで、ぜーんぜん、、、、、。
だから、ほとんど設計で誉められたキオクなし、、、。
そんな、ハシにも棒にもかからないような21歳の頃。
でも、
めーったに誉められないものだからですね、
相手がどういうつもりで言ったかは知らないけれど、
ちょっとした誉められた(ような)言葉が、とにかく宝物のように嬉しくて、
そんな数少ない言葉を、自分の都合のいいように解釈して、
「、、、やれるかも?」
とだけは、思っていました。
今思うと、めちゃくちゃポジティブシンキングですかね、、、、??

と、僕のくだらない話はともかく、
要するに、3年生って、大切な時期です。いろんな意味で。
それまで華やかに優秀だった子が、急に失速してモチベーションを失うのも見て来たし、
逆に、このへんから急にのびる子もいます。
僕みたいに、もっとずっと後で、
「ケンチク面白ーい」って気づいたものの、
「ケンチクってなんじゃらほい、、?」
と思ってる子もいます、、、、。
だから、今、器用にこなして中途半端に誉められるよりも、
彼らが10年後、自分の作品を見て、
「やっぱコレいつか実現したいなぁ、、、、」
って思えるような、自分にとって大切な作品になると、いいなぁと思って学生達を見ています。
最後に、そういえば、思い出したので、僕が自分の講師紹介に書いた、学生へのメッセージを。
このメッセージが、唯一、僕が学生に伝えられる事のような気がしますので、、。
自分が本気で面白がれないものを、だれが面白がってくれるだろうか?
逆に、どんなにくだらない事でも、自分が本気で面白がれたら、
それは、必ず、誰かに届きます。
設計は、つまり、たぶん、そういう事。
自分の「根っこ」がどこから生えているのか?
課題を通して、それぞれが自分の「根っこ」を発見で きたら良いと思うのです。
仮にそれがいわゆる「ケンチク」から、
生えていないとしても。