2017年04月13日

意味

明日の土曜日は、小田原さんの家のオープンハウスです。

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小田原さんちは、商店街のど真ん中に建つお家です。

この街が大好きになって、「この街に住みたい」と思われるように
なった小田原さんの家。

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時々、
まだ完成する前に、雑談をしていると、もちろん
「この家に住んだら、、、」っていう話もされるんですが、

「いつか私たちが住まなくなったら。」

という話が結構出てきました。

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「いつか私たちが住まなくなったら。」

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「それでも、ずっとこの街に建ってて欲しいよね。」

とか、

「誰かがレストランとかにしてくれてもいいよね。」

とか、

「1階は誰かに貸してもいいよね。」

とか。

「息子が飲み屋でも始めるかもね。」

とか。。。。。

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そんな何十年後かの未来の話。


そういえば、一番最初にお会いした時、

「僕たち古い建物や、廃墟が好きなんですよねー。
どうせ作るなら、自分ちも立派な廃墟になると嬉しい。」

とのコトでした。

そう、廃墟の話から始まった小田原さんの家。

こういう小田原さんの話に共通するな〜、と僕が感じたのは、
なんていうか、、、、、思い描く時間の幅です。


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目の前の5,6年のコト、っていうよりも、
もっと先の、未来の時間。

実は廃墟って、
ある意味、時間を超えてきた未来のケンチクの姿とも言えます。

建主もいなくなり、設計者もいなくなり、
そんな時間を超えてでもなお、残ったケンチクの姿。

その時、もはや住宅であったとか、お店であったとか、だれが作ったとかも
忘れ去られて、その時の法律や、社会背景も、ずいぶん変わっているでしょう。


ケンチクに限らず、人間が作った物はすべて、いつか意味を失う時がきます。

意味を失った時、
残る、残らないは、何によって決まるんだろうか?
これは、僕の永遠のテーマでもあります。


意味を失った時、
それでも人間を迎え入れたり、雨をしのがせたり、居心地が良かったり、生き物があつまってきたり。
作られた意味は分からないけれど、

「なんか、ここ気持ちいいね!楽しいね!」

と人間やいきものに語りかけるような、
この街に愛され続けられるような、
そんなケンチクになればいいな。


「なんかさ、、、、、。


 意味わかんないし、説明もうまくできないけど、、、、、


いいよね。」

っていうような、直覚で感じるケンチクの力。


同時に、

「こーんな分厚いコンクリートで、こんな小さな場所に
 よくこんな手の込んだケンチクを建てたもんだ。
 変態じゃないのー?」

ていうような、バカみたいな人のエネルギー。

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ケンチクは一言もしゃべらないけれど、
染み込んだ想いは、人の直覚にダイレクトに伝わるんじゃないかな。




ケンチクが意味を失った時、
残る、残らないは、何によって決まるんだろうか?



さてさて、土曜日楽しみです。!
posted by 西久保毅人 at 20:50| 2017.4月の気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする