2016年10月05日

正体

ちょうど、いま設計中の家が全部完成すると、
ニコで設計させていただいたおうちが、100件を超えます。

100件も設計したら、全く同じ家があってもおかしくないのになぁ、、、と思いつつ、
振り返ると、ぜんぜん違うのに自分でも驚きます。
この調子だとしたら、1000件くらいしないと、同じ家ってできないんじゃないか、、、
っても思う今日この頃。。。。
でも、1000件作ったって、きっとそれでも同じモノはできないんだろうなぁ、、、。

なんでだろ?

って思うんですけど、
それは、この「ぜんぜん違う」、っていうのが、
別に僕たちの個性でもなんでもなくて、
それだけ、ぜんぜん違う「100組のご家族」と「100種類の敷地」
に出会ってきただけだからだろうなぁ、、、と
改めて思う訳う今日この頃です。


僕にとっては、ぜんぜん違う100件の仕事。
一つとして、同じだと感じたコトはありませんでしたし、
いまなお、そんな新鮮なカンカクです。
正確には、最初、同じかも?とか似てる?、って少し思うコトは
ありますが、
よくよくお会いしてお話すると、、、、やっぱりぜんぜん違うんだよなぁ、、、。
僕にとっては。
だから、しかたない。

でも僕にとって大事なのは、その量、っていうよりも、
そういう
一つ一つの出会いの中で生まれた発見、っていうのかな、、、、。

「ああ、こんなコト、そんな暮らし、あんな設定。

 僕たちだけだったら、しようとも思わなかったし、
 気づきもしなかったよ。」

っていうコトが尽きるコトなく、ただただ続いているだけで、
そんな発見の連続が、実はニコの仕事の中核をなしているのだと
思いますし、
そんな発見や気づきから生まれたすがたやかたちが、僕たちの仕事の正体です。


せっかくだからこの機会に
もっと本当に、正直なコトを言うと、
そんな出会いの中で、
「おおっ!これは絶対にいいに違いない!!」って最初から確信を持って作るものも中にはあるけれど、
完成するまで、

「、、、、うーん。僕はイマイチぴんときてない、、、。」

っていう状況で作るものも、実はいままで正直けっこうあって、
これを言っちゃうと、作り手としては、
とても無責任に思われるんだろうけど、でも不思議なコトに、そこに向き合って考え始めてみると
前者よりも後者の方が、できあがった後に、

「なるほどーっ!!!こーれは素晴らしい! 僕は考えもしなかったけど、、、、。

、、、、しかも、ここだけのハナシ、出来上がるまで、僕、結構反対だったんだけど、、、。(笑)」

ってなるコトが思いの外多いコトに、ある時に気がつきました。

うーん、、、。
逆に言えば、同じようなコト考えて、同じような教育を受けた設計者だけで
あれこれ考えたって、世界が狭くてつまんない、ってコトに、ある時に気がついたんです。
ケンチクの外側にある世界の方が、よっぽど感動的。

こういうのは、僕自身の能力のなさや、想像力のなさが、ある意味、
いい具合に幸いしたのだろうな、、、と思うんですけど、
だから、いまだに

「こんなコト、そんな考え方、生き方、価値感があるなんて、
あなたに出会うまでは、考えたコトも想像したコトも、一ミリもなかったよ。。。。正直。
でも、なんか、楽しそう、、、、それ。。。。」

って思いますし、同じくらい、

「えー、ないない。それ、、、、絶対ない。ここだけのハナシだけど、、、。」

っていうのも、おかげさまでいまだに結構あるんですよー。
面白いから言いませんけど、、、。(笑)


ぶっちゃけ、、、、、。

いいか悪いかなんていうのは、正直、たいした問題ではないのだ。

大切なのは、熱量と摩擦。


だからどちら側から始まるにしても、産まれてくるのが楽しみで、
その学びは感動でしかありません。

自分だけでは、とうてい実現も想像もできなかった未来と出会う訳ですから、、、。



で、真面目な話、
そういうのは具体的には、
平面図や断面図、っていう基本図に現れる時もあれば、図面には現れない質感の時もあります。
タイル、金物、段差、色、窓枠みたいな小さな部位の時もありますから、それこそ、物件ごとに、
どこに現れるかは千差万別です。

でも、それがどこに現れようと、そうやって立ち現れた空間には、
そのご家族としか作り上げられなかった発見や試みがたくさん詰まっていて、
それはいまだに尽きるコトがありません。

「次はどんな発見と出会えるだろうか?」

という果てしないワクワク感が、僕に限らず、ニコのスタッフ全員の仕事への尽きるコトのない
エネルギーの源なのだなぁ、、、とつくづく思ったりしますし、だからこそ、自分たちの仕事に愛情が湧くんでしょう。

この楽しさ、
職人さんまで含めると、本当に多くの人の手によって産まれざるをえない、
ケンチクの醍醐味なんでしょうね。きっと。
関わった人の数だけ、意見や個性があるわけですから、、、、。


話は変わりますが、僕は子供達に、

「勉強も、スポーツも、身に付けて、覚えて、やってみるのが先で、
その意味を理解するのはずっとずっと後だって、ぜんぜんいいんだよ。」

って言うコトがあります。
それは、行儀や、作法だって同じ。

これが教育として正しいかどうかは、よく分かりませんけど、
一つ言えるのは、その方が、きっと人生気楽で楽しい、っていうコト。


それは、僕自身がとても成長が遅くて、20歳過ぎるまで、
何一つ、意味を理解してやってなかったからかも知れません。
、、、、あれ、30歳過ぎるまでだったかな、、、。35くらいまでだったかも、、、(汗)

でも、もう40歳を過ぎて、子供たちも大きくなり、
さすがに自分がやってきたコト、身につけたコトの
意味を、少しづつ、理解し始められるようになってきました。
それでもまだまだ到底全部ではありません。そのほんの一部くらいは、、、。

そんなほーーーーーんの一部を、
これから少しづつ、時々、今までとは違う形でここに書き留めていきたいと思っています。

どういう書き方をするかも、まだ未定なんですが、
ニコの「正体」みたいなものになればな、、、、とだけは思っています。


あーあ。書いちゃった。
、、、とはいえ、まだまだまとめるつもりは、全然ありませんけどね〜。。。

ではお楽しみに。

初回は、「棺桶のための扉のはなし」です。

7231.jpg
posted by 西久保毅人 at 00:59| 2016.10月の気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする