
音符のようにー すれ違ーってくのよ
迷子になっーたー カレのここーろの中
・・・・・・聖子ちゃんです。
さてさて前にも書きましたが、最近はノノのピアノレッスンが、ボクの秘密の楽しみで、
別にボクが弾く訳ではないんですが、恵子先生の一言一言を聞き耳たてて聞いてます。
先日、レッスンもだんだん進み、音が重なる曲に入った時の事。
「ののちゃん、楽譜読んでごらん。」
「はーい、えーと、ミレミファソー・・・・・??」
「どうしたの? そう、音が二つあるでしょう。ピアノでは二つの音が重なるのを重音っていうんだけど、人間は二つの音を同時には言えないのよ・・・・。でも二つの音が重なると素敵な音色に聞こえるでしょう。そして、時には単音を引き立てるのよ。」
ノノは、「ふーーん・・・。」でしたが、
ボクは、「ガーン。」でした。
これって、もしかしてケンチクにもいえるんでは?
さらに、ジンセイにもいえるんでは?
ケンチクは、決して一人ではできないものです。
そして、設計者には、設計者の、建主には建主の、監督には監督の、ペンキ屋にはペンキ屋の、それぞれの主張や、役割があります。
それが、それぞれの音だとしたら、そのバラバラの音をつむぎ、一つの空間にする事。
それを、社会や、歴史や未来の文脈の中に築きあげる事。
そして、ジンセイにおいても、同じで、所詮、一人でできる事なんてたかが知れてるけど、人との出会いや、同じ志の仲間とだったら、すごい事ができちゃう(気になる事。)
深いなー、恵子先生。
ほかにも、ホント、ケンチクにつながるキーワードが、音楽の基礎には詰まっているなー
とノノのレッスンを通して、改めて感じさせてもらっており、最近忘れっぽいので書いておかないと忘れちゃうんで、ここに書いておこうと思っています。
ただ、知れば知るほど、骨になる個人(作曲者)の「コンセプトの明確さ」の大切さも同時に痛感するんですけどね。だからこそ、ただの音符がすてきな曲になる・・・・。
要するに「何をやりたかったんだよ。」ってコトですね。
・・・・なんて、そんな事をボーっと考えながら、毎週水曜日の午後のひと時、ボクは妄想にふけっています。
一人分の月謝で、ボクまで勉強させてもらって、ホントありがたいです。
では、発表会での「父娘連弾」をいつの日か夢見て・・・・・。