2015年06月23日

ケンチクの命

くわしくは知らないんですけど、
大学の医学部では、遺体解剖実習というのがあると聞きます。

そりゃあ、将来、お医者さんにならないといけない訳で、
あたり前といえばあたり前の授業ですよね。

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じゃあ、大学の建築学科に「古屋解体実習」というのがあるかというと、、、、。

僕の知る限り、大学にはおそらくないと思います。

だから僕たちみたいな職業の人は、建築学科を卒業して
設計の仕事に就く訳ですが、たいていの人は、社会に出て
初めてケンチクの現場を知る事になります。

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しかも、たいていは、その時点での法律に準じた新築の現場になる訳ですので、
その法律以前の建物の成り立ち、って、実は解体の現場でくらいしか、
触れる事はありません。
改修や、リノベーションの現場があれば別ですけど、、、、、。


さて、医学部と比べてもしかたないですけど、
僕の想像する限り人間の体って、たぶん、切ってみた中身は、
何百年前の人間と今の僕の体の中身は、そんなには違わないのではないかと
思うんですけど、それは人間の体が法律や流行や流通や、
その時の経済状況でできている訳ではないからでしょう。
(ええと、超、あたり前ですけど、、、、。)

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でも、それに比べて、建築って、たかだか数十年前のものでさえ、
中身はだいぶ違います。。。。。
そして、この世の中の面白いのは、
その何十年、時には何百年も前の建築物と、今年作られた建築物っていうのが
同時に存在する、という事なのです。。。。。。

そしてさらに面白いな、と思うのは、
作られたそれぞれの背景はいろいろでしょうけど、
建築物は、
圧倒的に新しいものが、圧倒的に古いものよりも長く残るとは限らない、
という事です。

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建築には、心臓や脳はありませんから、
心臓マッサージや脳死判定もありません。

じゃあ、どこまで建築の生と死の境目は、一体どこなのでしょうか?

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おそらく、建築の心臓や脳の役割をするのが、きっと人間なんでしょうね。
だから、人間がいらない、と思った瞬間に建築はなくなり、
もたない、と判を押した瞬間に、壊れることになります。

どんなに厳密な構造計算がされていようとも、、、、。

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今年、明治大学を卒業した僕の教え子2人が、
今、築40年くらいの小さな古屋に住みながら、自分達施工ででリノベーションを
始める事になりました。


春に相談された時に、
「こんなコト、二度とできないんだから、やっちゃえやっちゃえ。」

と背中を押した手前、監修、っていうか、課外授業っていうか、、、、、

「、、、で、、、、、僕も、仲間に入れてくれる??」

という訳で、かれらの妄想に少し参加させてもらっています。

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こんな古い建物にも、やっぱり作られた時の物語があるのですが、
状況的には、解体されて新築、っていう運命もあったのでしょう。

建てたおじいさんも、まさか時を越えて若者達に壁や床を引っぱがされるなんて
夢にも思っていなかったんでしょうけど、
補強して、新しい空間に生まれ変わらせようとしている若者達のおかげで、
命を吹き返す事ができそうです。

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建築には心臓や脳がないかわりに、
使おう、残そう、好きだ、と思ってくれる人がいる限り、いつまでも
延命させる事ができます。

法律も、経済も、社会情勢も、流通システムも。
年々加速して変化していきますので、その時点での正しさが、
必ずしも、10年後にも正しいとは言えない世の中です。

大学でも似たような意味合いの授業をしているんですが、
だからこそ、時を越えて献体のように預けて頂いた古屋を通して、
彼らは身にしみてたくさん学ぶ事ができたらいいな、と思いますし、
ニコのみんなも、新築と、こういうプロジェクトを同時に目にして
いけたら少しは、ホントの世界に近づくんじゃないかなぁ、、、って思うのです。


しかし
いいなぁ、、、うらやましいなぁ、、、、。

僕もどっぷり住みながらやりたい、、、、。

そして、昨今の空き家問題。
こんな風に、学生に「献体」して、
リノベーション実習で生まれ変わらせたらいいのに、、、。
posted by 西久保毅人 at 20:56| 2015.6月の気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする