今年で早いもので4年目になります。

僕の班の課題は、毎年恒例の、「さしだすデザインの発見」っていう
タイトルの、2つの商店街を舞台にした課題です。
今年、ひとつだけ課題にサブタイトルを付け加えました。
「街の物語を描く。」という言葉。
決まっているのは、実存するある商店街、っていうだけで、
あとは自由。各自、練り歩いた気づきとカンサツをもとに、
それと、自分の人生経験を照らし合わせて、その街の未来の物語を
描いてください、という課題。

ケンチク学科の課題としては、
超適当な課題だと思いますが、、、、、
、、、だって、課題は、先生達好きに決めていいです、、、って言われたんで、、、、。

好きな先生の課題を選んでいい授業でもあるので、
僕の課題を選んだ学生に、なんで僕の班、選んだの?って聞くと、
いろんな理由がありつつも、
「自由そう!」
っていう子が多いのですが、、、。

僕的には、
「ふっ、、、また今年もはまったな、、、ニシクボトラップに、、、、。」
っていう。。。。。ふふふ。

「、、、自由ほど、難しいものないんだよ。」

授業が進む程、
これまで器用に課題をこなして来た子程、
悶々と悩みはじめます。。。。
器用さは役に立たない課題だからなぁ、、、、。

「はたして何をしたらいいんだろう?」
「街の物語を描くのに、ケンチクは必要なのだろうか、、、?」

あなたなりの「気づきとカンサツ」にもとづいてさえいれば、
何をしてもいいという課題を与えられた時、
はたして、あなたは何で答えをだしますか?
何を問題だと思いますか?
どういう風景をみたいと思いますか?

僕が、彼らと考えたいのは、実はそういうコトで、
街の営みの中には、もちろんケンチクも必要だけれど、それはあくまでひとつの要素でしか
ないのだ、という事。
ケンチクって、どれだけ重要??
もしかしたら、植木鉢や看板のほうがケンチクよりエラいんじゃないの?
建物のカタチなんかより、素敵な雰囲気のおいしいお店一件のほうがよっぽど
住みたい街になるんじゃないの?
「自分」っていうものの好みや、原風景や原体験を引っ張り出してこないと
実は、答えが出せない課題でもあります。

しかし、こんな超適当で、むちゃぶりの課題を出す以上、、、、ですね、、、、
僕もそれなりの決心が必要な訳で、、、。
僕が決めているのは、
「個々の目を通した小さな気づきに徹底的につきあい、発見を広げてあげる。」
ってコトと、

「街の物語を描こうとする提案であれば、どんな答えも受け入れる。
、、、、とりあえず、僕も、ここがケンチク学科であるコトを忘れる。。。。(笑)」
というコトかな。。。

だから、僕も結構、真剣勝負なんですけど、
これが、ほーんと毎年、面白いのです、、、。
、、、そもそも僕も答え分かってないし、正解ないから疲れますけど、、、(笑)
でもですね、、、、
その子、その子で、興味のあるところが全然違うから、
ほーんと僕も、彼らにエネルギーをもらいます。
そして、こんだけ自由で、何やってもいいよぉ、、って言われながらも、
やっぱりそれぞれ、もがきながらもケンチクで答えを出したい子は、
最後はなんとか自分なりのケンチクの設計で、答えを出そうとしてくれるのも
不思議だなぁ、、、って思います。

、、、、ん、そもそもケンチクって、何だっけ?
、、、、そもそも、街って何なんだっけ?

そんなコトを、悶々としながら半年間考え続けてくれたら、
その時間は、将来、絶対財産になるだろうなー、っていう僕なりの
教育方針にもとづいてはいるのですけどねー、一応、、、、。

と、そんな訳で、
先週、まずは、第一課題の発表会。
ゲストに構造家の名和研二さんをお呼びしての開催だったんですが、
前の週まで、
「ほーんと、こいつら提出できるのかしら、、、?」
という雰囲気だったんですけど、いやー、毎年ながら
学生の根性と集中力はすごいです!

それぞれの欲望や想いのよく現れた、素晴らしい作品となっていました。
まさに、今の彼ら、そのもののような、、、、。

さてさて、来週からの第二課題!
後半戦も楽しみです!
【関連する記事】