2014年11月08日

その「場」

昨日から、新宿の紀伊国屋ホールではじまった劇を、ニコのみなで見に行きました。

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なんとなく、バタバタした日々が続いていたので、まぁ、、、、、、

ニコの「文化の日」でしょうか?

前にも書いたコトありますが、ナカツルは、大学の同級生で同じ研究室出身の仲間。
(、、、もちろん、、、、ケンチク学科ですよ!)

このトラッシュマスターズという劇団は、そのナカツルが主催する劇団です。

ナカツルそのものは何にも変わらないのですが、
ていうか、変わらないコトが一番すごいのですけれど、
ここ数年、演劇界のいろんな賞をとり、
ようやく大きな劇場で公演をする機会も増えてきて、
せっかくなので、時々、ニコ文化部の活動として、皆を連れて行くコトにしています。

昨日は、そんなこけら落としの日。

ある意味、彼のおかげで、僕も少ないながら学生の頃からちょこちょこと
こういう舞台を見に行く機会もあったのですが、
ニコの若者達の目にはどう映っているのでしょうか?


今ではお互いに40歳を過ぎ、大学を卒業してから20年近くの時が過ぎました。
職種は違えども、お互いによく続けているなぁ、、、と思いますし、
結局、見渡すと同級生のおバカチームだけがいろんな形で独立して、
未だに続けている、、、、って感じなんですけど、、、(笑)

いいかえれば、ろくに就職活動しなかった組。
いいかえれば、そもそも当時は就職活動したとしても、
きっとどこにも受け入れられなかったであろう、、、、組。

そういえば、学生の頃。
なんていうか、職種の違いというものが
とても大きな差や違いであるように感じていたような気がします。
ちょっとした差や違いを許せず、絶望を感じたり、その違いに怒りや劣等感を感じたり、
違う道を行くのねと、決別を感じたり、、、、。

よく例え話にあるように、職業を選ぶという事が、あたかも交差しない別々の道を
選ぶかのように思い込みながら生きていたような気がします。

でも、いつの頃からかな、、、
たぶん独立してしばらくしてからかな、、、。

職業って、なんでも同じなんだな、ってある時から思うようになって、
とても楽になったっていうか、
世界の見え方がかわったのを覚えています。
そうすると、すべての職業がつながって見えてきて、

結局は、自分がいいと思うか、ダメだと思うかだけしか違いはないな、と思うようになりました。
もっというと、ドキッとするかどうか?

だったら、ドキッとするかどうかだけの自分さえあれば、
あとは極力全部まっ白であった方が人生得だな、と思いました。
だから、ファミレスの店員さんからも、ラーメン屋さんからも、居酒屋の店長さんからも
学ぶことだらけで、逆に、同業者から学ぶコトの方が、以外と少ないな、、、、と
思ってみたり、、、、。


たとえ作っているもの、扱うものが、同じではなくっても、
目に見えるモノであってもなくっても、
その先に人がいる限り、考えている事は、結局はみんな人のコトなのかな、と。

人として 人と出会い、
人として 人に迷い、
人として 人に傷つき、
人として 人と別れて、、、

っていう、、、、そうそう、人生、武田鉄也の歌の通りだなぁ、、って(笑)


そう思うと、職種なんかよりも、
1人の目の前の人と、いわゆる「人間」という全体像との間の矛盾にどうつきあうのか、っていう
コトの方が重要だな、、、と。

それは、僕の仕事でいうと、
一組の目の前のご家族と、
「家族とは?」「家とは?」という「」でくくられるような一般論との間の矛盾や、
目の前の街をいいな、と思う自分と、
「理想の街とは?」っていうコトを語る際の矛盾に
どう向きあっていくのか?というようなコトでもあります。

ようは、ありとあらゆる「」でくくられるもの達と、
どうしても「」からはみだしてしまうものとの間にどのように立つか、、、
というようなコト、、。


これは職種なんかよりも大きな問題で、
じゃあ、どっちが正しいのか、、、とか、どっちへ進むべきか、、、?って、
思っていた時期もあるんですが、
最近は、一見、歩き方やスタート地点、生きた時代が違っても、
「実は、どの世界でも、僕の好きな人達は、結局は同じようなところに向っていたのでは?」
と思えるようになってからは、正直、どうでもよくなってきました。

そして、大事なのはどっちかが、明らかに正しいのではなくて、
どっちもホントなんだ、という立場に立たない限り、
片目を塞いでいるようなものだな、、、と。

じゃあ、どっちも同じところに向っているなら、
どうせなら自分がドキッとする方を選んで進んだ方が楽しいな、とも思うようになりました。

こういうのって、正直言うと、長い時間の中で目の前の仕事を通しながら、
右かな、左かな、、、といつも迷いつつも、肌で感じて
だんだんと身にしみてきたようなカンカクでしかないのですが、
ある時、
小林秀雄さんが生前の講演会での録音の中で繰り返し、

「個人の直感の中にしか、歴史も真実もないのだ。」
「主観なしには、客観はうまれないのだ。」

とおっしゃるのを聞いて、

「、、、ん?なんか似てるぞ、このカンカク、、、、。」

と思ったりして、、、、。



さて建築と演劇。

インターネットやら、ビッグデータやら、、、、。
あっちの世界では何でもかんでも、びゅんびゅんつながっているような、、、この時代。
数の論理でなんでもつながって、広がるコトだけが正しく自由であるような、この時代。

びゆんびゅんに乗っかるには、きっと「」でくるんだ方が楽に違いないのでしょうし、
もはや、自分の意識とは関係なく、気がつくと自分の断片が「」の中に吸い取られてしまっています。


そんな時代のまっただ中で、建築も演劇も、、、、

時代に逆行するかのように、
未だにその「場」にふれないコトには、結局は何も分からないモノをお互いに作っているのだな、
と、今回、舞台を見ながら、ふと思いました。

今時、こーんな不効率なコトはありゃしないと思いますし、
そういう意味で、毎回、全力の試合をしないと次に進めない、、、、っていう
年甲斐もない仕事の仕方のような気がするんですけど、、、。

たぶん、そうしないと、先に進めない人種なんだろうなぁ、、、。

でも、ケンチクは多少、
あっ、ちょっと待って、、、、とか、
、、、、すみませーん、、、、ここ実は、、、。
が効くからなぁ、、、、。

演劇は、
幕が開いたら、
編集も、取り直しも、修正も不可能な、ノンストップの世界。
観客の息づかいさえもが、その公演の一部と化します。

でも、だからこそ、ナカツルが、
一発勝負の演劇という舞台に、人生をかけてこだわる理由も、
なんとなくは分かるのです。。。。


と、そんなわけで、
気がつくと無駄な長文となってしまい、
珍しく友達の宣伝でもしようかなぁ、、、、と思いつつも、
ナカツルの劇については、ほぼ触れず、、、、、、(汗)
なんのために書いたのやら、今ではさっぱり分かりゃあしませんけれど、、、、、


まだチケットあるかも知れませんので、
興味のある方は、ぜひぜひ、足をお運び下さいませー。水曜日までですよー。

posted by 西久保毅人 at 21:25| 2014.11月の気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする