2014年10月27日

ほーんと、大学生の時、

尾崎豊の

「こーの支配からの、卒業〜。」

というノリで佐賀から上京したというコトもあり、
高校時代、

「文化部は敵」

っていう、田舎ならではの超、偏った価値観でもあったため、

ケンチク学科に入学したものの、
ケンチク学科で話される先輩や、同級生達の
何かの呪文のようなケンチク用語、ゲイジュツ用語にも
一切ついていけず、

「、、、あぁ、ケンチク学科、つまんない、、、(涙)。」

とずーっと思っていました。

授業も、あまりにサボり過ぎて、もはやさっぱりついて行けず、、、。

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でもケンチクや街のコトが嫌いだったっていう訳でもなくて、
いいな、好きだな、、、って思う場所やケンチクはあったんですが、
どれもこれも、その当時「著名な」雑誌をにぎわす建築家が作ったものではなく、
それどころか、誰が作ったかすら分からないような場所やものばかり、、、、。

ようは、僕がいいな、って思うものは、
ケンチク雑誌には載っていなかったし、先輩や同級生の会話の中には
出てこなかった、、、、ってだけなのかも知れません。

それらは、いっつも、道ばたとか、インドとか、、、、、、、。
そんなところにありましたし、それらはいっつも、人と共にありました。

あぁ、やっぱ、僕がしたいのは、セッケイでは、ないなぁ、、、、って
旅するたんびに思って帰って来て、24歳頃までの僕の
結構真剣に考えていた進路は、「海外青年協力隊にとりあえず行く事」でした。


そんな感じだったので、いわゆるケンチクの勉強はほーんとに身が入らなかった変わりに、
いろんな本に出会いました。

そんな中の、1人、
赤瀬川原平さんが、先日亡くなってしまったとの事。。。。

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確か、去年かな、
久しぶりに、文芸春秋の中で赤瀬川さんのインタビュー記事を見つけて読んだのですが、
もうその時も闘病とリハビリでとても大変そうな内容でした。


言わずもがな、
路上観察学会、超芸術トマソン、少年とオブジェ、純文学の素、東京ミキサー計画、、、、等々。


あげればきりがないですが、
特に1990年頃までの赤瀬川さんの本、っていうか多面的な活動、思考に出会い、
なんか、目からウロコと同時に、

こーんなアホな事を、大人として、真剣にやってる人がいるのだなぁ、、、、と

思いながらも、どこか、ケンチク学科にいる自分の不満を、

「そんなのちっちちゃい、ちっちちゃい。
世界はもっと広くて、面白くて、世の中は訳の分からん謎に包まれているのだよ、、、」


笑い飛ばしてくれている様な気がして、そんな本の中に逃亡していました。

自分の世界と重なるなんて、夢にも思っていませんでしたが、
赤瀬川さんを知るにつれて、その関係する人達や思想にも興味を持っていきました。

例えば、その根っこが、民俗学者、今和次郎さんの考現学にあるコト。
考現学とは、
集落や街をひたすら歩いて、そのありのままの姿を観察して、
片っ端からメモし、
片っ端から絵としてひたすら記録し続けた記録。

そんな今和次郎さんは、実は建築学科でもあり、柳田邦男の弟子でもあり、
その民俗研究のような記録「日本の民家」が、実は日本で最初の民家研究書であったこと。

などなど。

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掘り下げれば、掘り下げる程、面白くて、
一見、まったく、デザインとか、設計とかと関係のないような、一見ほーんと
バカみたいな事が、実はケンチクにつながっているのだ、というコト。
答えは身の回りにたくさん転がっている、というコト。

こんな楽しい世界、
残念ながら、大学では一切教えてくれませんでした。

そして、そんな中で、唯一、ここで仕事をしたいな、、、と思えた象設計集団の設立者達が、
実は、吉阪隆正さんという、今和次郎の生まれ変わりのような、
ひと言では、「ケンチクカ」とは言えない、
摩訶不思議で、
ケンチクを通して一生、人間とは??営みとは??という事を考え続けた
人類学者のような人の研究室の出身であったコト。。。。など。

とにかく、このあたりから、

「なーんだ、大学や、流行の雑誌の中のケンチクだけが、ケンチクじゃないんだぁ。。。」

と、一見、変態のような先人達の足跡と出会う度に、
思えるようになって、少し、気が楽になったのを覚えています。。。。。


「あっ、実はぜーんぶつながっているんだ、、、。」

っていう、気づきが僕の中にありました。

まぁ、それでも、っていうか、だからこそ、

「やっぱ、進路は、まずは海外青年協力隊だな、、、。」

って真面目に思っていたんですけど、、、、。(笑)


そんな脱線ばかりしていたんですが、
そんな、自分の世界がすこしずつ、ケンチクとつながっている、っていうか、
僕みたいな人間も、ケンチクとつながっていていいんだなぁ、、って思えた
きっかけだった赤瀬川原平さん。


僕の中に何を残してくれたんだろう、、、、?って、思うのですが、
それは、ひと言で言うと、「目」だな、と思います。


世界を見る目、日常を見る目、道ばたを見る目、人を見る目。。。

どんなに、一見、つなまらそうで、あたりまえで、ありきたりなもののように
見える風景の中にも、

気づく好奇心と、立ち止まりカンサツする目をもてば、
たーくさんの「なんでだろう?」がつまっています。

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このブログ、「ニコの気づきとカンサツ」も、
実はこんな理由で付けたタイトルです。

そう思うと、全然世の中、捨てたもんじゃなくて、
むしろ、沸き上がる「なんで?なんで?」は、
もはや、一生かけても、解き明かせそうにもない謎でいっぱいです。

おかげで、もう、100件程の住宅を設計させて頂いたのですが、
もう、謎は深まるばかり、、、、。

あきたどころか、やればやる程、

「ほーんと、まだまだ僕は、なーんにも、分かっちゃいないなぁ、、、。」

と思い知らされて、

「こんなんですみません、、、、、。」

という気持ちで、家を引き渡して、、、、。

そして、また新たなご家族と、街との出会いに感動して。


、、、、て、
こんなコトを毎日考えながら過ごしている訳ではないんですけど、
ふと、突然の赤瀬川原平さんの訃報を聞き、
何者にもなれそうもなかった20代の自分を思い出してしまいました。

まだまだ何者でもないけれど、
少なくとも、今、僕がこうしてケンチクの仕事を通してご飯を食べられて、
ケンチク楽しいな、難しいな、、、、、でも楽しいな、しかし謎だな、、、って
思っていられるのは、

赤瀬川さんがくれた「目」のおかげだなぁ、、、、、と思うのです。


その「目」のままでいいんだよ、まぁ、覚悟があればね、、、って、
20代のアホな僕に教えてくれたのだろうな。


「むしろ、俺の目の方が、何百倍も変態的だぞ」と。。。



そして、答えはいつも道ばたにあるぞ、、、、、と。

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心からお悔やみ申し上げます。

posted by 西久保毅人 at 22:42| 『子供たちの気づきとカンサツ』まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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