2014年01月15日

どこか、そばに。

明治大学の授業も、残すところ明日の1回。
明日の全体講評会に先だって、先週グループ内の発表会をしました。

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ゲストには、いつも構造設計をお願いしている名和研二さんと、細田くん。

僕は授業で毎週話しを聞いているけれど、
初めて会う人に伝える、っていうコトがとても大事です。

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名和さんには、別に構造的なアドバイスを、、、、っていう目的ではなくて、
名和さんはとても広い視点をもっていて、
一見、見過ごしてしまうような問題や気づきを、
ユーモアとアイディアに変え、ていつも僕たちに新しい視点を与えてくれる人。

学生達にはとてもゼイタクですが、僕が伝えられないようなコトを、
学生達につたえててもらえたらいいなぁ、、、と思ってお願いしました。

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ケンチクとはなんだろう?

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街って、なんだろう?

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生き生きしているって、どういうことだろう???

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僕たちが生きている世界は、ケンチクだけでできてる訳じゃないし、
ケンチクなんて、もしかしたらなんの力もないかも知れない。
そもそもケンチクなんて、もう新しくつくらない方が、いいのかも知れない。

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でも、僕たちの産まれてきた、そしていま生きている背景には、
いっつもケンチクがあって、
どんなに世界がフラット化しようと、グローバル化しようと、
ネットでなんでも買えちゃう世界になっても、携帯電話が体に埋め込まれようと、、、、。

やっぱり、どんな社会になっても、そこには子供たちがいて、
小さな段差や、くらやみや、すき間や、においや、ボロボロや、
新品や、雨漏りや、工事中や、、、、、いろんな理不尽だらけの街が、
その場所に産まれてきた子供たちには、とても魅力的な、初めての世界になるのでしょう。


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宮崎駿が、引退の記者会見で、何のためにアニメーション映画を
創ってきたのですか?という問いに対して、

「、、、それでもこの世界は、生きるに値する、という事を伝えたかった。」

と言ったんですが、たぶん、僕たちがケンチクを作る意味って、
きっと同じなんじゃないかな、、、、と思うのです。


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悲観的な事や、事件や、ケンチクなんて、、、、っていう意見や。。。。
いろんな考え方や視点はあっていいんだけど、、、、



やっぱさ、、、ワクワクしたいじゃん。。。。


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そういう、もはや建築学科でも、大学でも、なんでもない、
だれとだって、子供たちとだって、共有できるようなシンプルな動機こそが、
いちばんのエネルギーだと僕は思います。

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そういう想いさえなくさずに持ってたら、
進む進路が、建築だろうとなかろうと、
もはやそんなコトは、どうだっていいのだ。

だって、何でワクワクするかって、人それぞれ違うからね。。。。。

いや、むしろ、全部がケンチクにつながっているのだ、、、。

、、、と、
そんなコトを、それぞれの学生達が、考える時間になってくれてたら、
うれしいな、と思いました。


そうそう、今回も、名和さんから素敵な言葉をいただきました。


「正解は、真理の近傍にある。」


たとえばもし、建築にも、数学みたいに正解というモノがあるのだとしたら、
1人の天才が、問いに対して正しい答えを出していけば、
まちがいなくそれで素晴らしい街になっていくだろう。

しかし、実際はそうではない。

もちろん、そういう設計もできない事はないけれど、すべての理屈や筋道が通っていて
減点のしようがない正解として作ってみたものが、必ずしも魅力的だったり、
愛されるモノになるとは限らない。

だから正しいから、正解。

とするのではなくて、どう考えても正しいけれど、、、、、、。

「、、、うーーーん。なんか、チガウ、、、。」

というように、もしそこに自分が感じる違和感があるのなら、
そこにしがみついて、素直に向き合って、
時には正しさを捨てたり、正しさからズレる勇気を持つコト。

だから、必ずしも正解=真理ではなくて、
正解は、あくまで真理の傍に、真理から少しずれたところにあるんだよ。

だから、みんなにそれを探す可能性があるんだよ。

というような事でした。。。。。(たぶん)


うーん、深い。



さ、明日、楽しみ。
posted by 西久保毅人 at 02:39| 2014.1月の気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする