2013年12月15日

問題を見つける、ということ

気がつくとあっという間に、
今年の明治大学での授業も後半戦。

最初の年には7人だった西久保班も、去年は10人、今年は13人と増え、
まぁ、人数増えた分だけ大変といえば、大変なんですが、
みんなそれぞれに、個性的なテーマに対する向きあい方をしてくれて、
それぞれに、悩み、苦しみ、
僕も毎回、いろいろな発見をさせてもらってます。

ほーんと、みんなそれぞれ。。。。

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3年生の後期は、自分で好きな課題を選べるしくみになっていて、
まぁ、いろんな動機で、僕の課題を選んでくれたみたいですが、
実はたぶん、僕の課題が実はいちばん大変なんじゃないかなぁ、、、、と
やってみてそろそろ気がつきはじめている後半戦の学生たち。。。。


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なんでかっていうと、
建築学科の設計課題って、
たいていそうなのですが、まず設計すべき敷地や、条件が与えられる事が
ほとんどなので、少なくとも学生達が、そこを決めたり、迷う必要はありません。
これは結構、あたり前のコトではあるんですが、
それは学年が上がってもたいてい同じですので、ある程度、同じ土俵の上での設計となります。

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でも、僕は自分で授業をさせてもらう事になった時に、
せっかくなら
その敷地そのものを探したり、何を作るべきか、何を作りたいか、、、、

つまりは自分は、はたして何に興味があるのか?
自分は、何が、どーしてもゆずれないのか??

という問題そのものを探してもらう事を課題としたかったので、
提案する「街」を決めただけ、という課題にしました。

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問題を自分で見つける、っていうのは、
実は結構たいへんな事です。

問題なんて、与えられた方がよっぽど楽で、
普通の設計の授業なら、そんなに悩まなくても
器用さと、ちょっとした分かりやすいアイディアでのりきれる事もあるんですが、
問題を見つけるっていう事は、
実は自分と向きあうっていう事が必要だからです。。。。

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同じ街をフィールドにしても、
その街で何を感じるか、何に気がつくか、っていうのは、
ホント人それぞれ。

だって、自分が感じた事が、問題そのものなのだから、、、。


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だから、同じ授業なのに、
学生達の提案は、ほーんと人それぞれ。

どういう事に気がつくかなぁ、、、っていうのは、少しは僕も事前に想定するんですが、
毎年、想定をこえていく学生の発見に、僕も驚かされます。


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かたちにして表現しやすいテーマ、かたちにはどうしても表現しにくいテーマ。
生き物のような街がフィールドなのだから、必ずしも形あるものだけが、
正しいとは限りません。

だって、街は、なにも建築だけでできている訳ではなくて、
道や植木や看板や、街灯や、においや、お店の人や、通り過ぎる人達や子供たち、
聞こえてくる音楽や、明かりや、、、、そういうありとあらゆるもので構成されて、
生き物のように常に動き続けているもの、そのものが街なのですから、、、、。

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ついつい、建築学科というフィールドにいると、
建築物だけですべてが解決されると考えがちです。

でも、実は建築学科にいる人よりも、そうでない人が圧倒的に多いように、
設計の仕事をしている人よりも、そうでない人が圧倒的に多いように、
街のにぎわいや、雰囲気や、愛着をもたらす要素も、建築だけとは限りません。
むしろ、ケンチクはその、一要素でしかありません。

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僕たちがかかわる街やケンチクは、
専門家だけに評価されるものではなくて、街の人達、子供たち、みんなに
愛されるものだになるといいなぁ、、、といつも思いますし、
そういうものだけが、結局はずっと愛され、残り続けていくのではないかなぁ、、、と
思います。
それは、住宅でも、お店でも、ビルでも、、、きっと何でもそう。
モノだから構造的な強度も大切だけど、それは何十年も残り続ける理由では、実はないのです。

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そんな訳で、
西久保班の子達も、発表までのラストスパートにむけて、産みの苦しみ。

「はたして自分は何をしたいんだろう? 何に興味があるんだろう?」

っていう事に、今回もみんな素直に向き合ってくれていて、
そのせいで、

「、、、、ぜんぜん時間がたりません、、、、。」

て、感じみたいなのですが、

、、、、、、、、、最終発表がとても楽しみです。
posted by 西久保毅人 at 02:48| 2013年の気づきとカンサツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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