昨年お引き渡しをしました「尾曲さんの家」に雑誌の取材でうかがいました。

とても楽しそうに住んで頂いていているのもそうですが、
土のまんま、ぐるりと残した路地に、たくさんの植物が生えていて
それがとっても素敵でした!
尾曲さんちらしくて。。。。


「あー、、、もーう、、、、。。。
次から次から草が生えてきて、めんどくさくてたーいへん、、、。」
って言えるような土のまんまの路地にしたいです、、、、。
と尾曲さん。。。。
そんな言葉を聞けるだけで、僕はもう、
めちゃくちゃ幸せです。。。

そういうのに、理由もいらないし、説明も、意味もいりません。

意味なんか、ぜんぜんなくていいと思います。

そうそう、そういえば、
最近、久しぶりに、赤瀬川原平さんの文章を読みました。
20代のころ、もうたくさん読んで、
路上観察学とか、トマソンとか、、、、、。
すごく影響を受けました。
ケンチク学に興味のなかった僕にはもう、教科書のように。

もう76歳になられたそうですが、
度重なるご病気で、現在お体を悪くされているそうなのですが、、。

そんな赤瀬川さんの手記の中に、
「なんでも最近、意味のあるものが重いんです、、、。」
「意味のあることが、つらいのです、、。」
とありました。。。。。

僕の受けとり方が違うのかも知れないけれど、、、、
失礼なコトかも知れないけれど、、、、
なんか、ちょっと分かるような気がしました。
もしかすると、世の中のいろいろなものを発見しては、
「意味」付けをしてきた赤瀬川さんの言葉だから、なおさらそう思ったのかもしれませんが、、、。

、、、意味なんて、
正直どうとでもなるものです。
意味があるって、要は説明できるかどうか、ってコト。
でも、世の中、意味のないもの、説明のできないものはどんどん排除されていきます。

意味をつけるために、説明をするために、
モノごとは、数値化されていきます。
数値化されると、比べられます。
もちろん、そのいい面もあるけれど、

でも、ホントは、意味や、説明の前に、
「、、あっ、なんか、いいねっ。」
っていう、直感や感動があります。

設計なんていうのは、その典型で、
意味や、説明のためのただの手段でしかありません。
ようは、どうとでもなるもの。。。。

でも、直感や、感動は、どうとでもなりません。
頭で理解しても、理論でねじ伏せられても、、、、、
やっぱ、いいと思うものは、いいし、やなものは、いや。

僕らが設計させて頂いたものが、
もし、いつか、意味を失った時。

それでも、いいって思えるかどうか、、、、?



、、、、、あれ、、、なんの話だったっけ、、、、???




そうそう、尾曲くんのはなし。。。。
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