ちょうど、2月のある日、
東京建築士会の方から、お電話をいただきました。
「先日、応募して頂きました住宅建築賞、1次審査を通過しましたので、
3月1日に、現地審査を、、、、、。」
もーう、ちょっと夢の様な御報告!!!

正直言って、お恥ずかしいんですが、この賞、独立してから毎年のように応募していてですね、、、。もう、何十件、出した事か、、、(笑)
ここまで何十件も出す人、他にいないと思います、、、。お恥ずかしい、、、。

こういう賞は、「ついで」、ではあるんですが、、、、
ご依頼して頂いたご家族のために一生懸命設計をさせて頂いたものが、おおやけの場でも評価されたらいいなぁ、、、そして、自分達が一生懸命考えたものが、世の中の役に立つといいなぁ、、、、。そういうのは、何年経とうが思ってます。
心の片隅に。
、、、もうあまりにかすりもしないので、いいかげん、こーっそりと、ですけどね。

でも、ほーんと、オモシロいように通らないもんでですね、、、
特に、こういう建築界みたいな、ケンチクカの世界では、きっと僕のような設計のスタンスは、ちょっとズレてると言うか、、、、、(大笑)

もちろん
そういうのって、正直自覚してるのです。僕だって。
でもですね、、、、分かってても、変える気もないですし、
僕は僕のやり方でしか、設計をする気がありません。
言い過ぎました、、、、ありません、っていうか、、、、できません、、、(涙)
、、、、なのでラチがあきません、、、。

とはいえ、毎年、華やかな建築家の方々が受賞して、しかも独立後、ほとんど1作目とかで、颯爽と受賞されるのを垣間みてるとですね、、、
「、、、、いいなぁ、、、。」
と毎年、毎年、思うわけです。。。。
もう、10年も経つと、、、、、、、、、、、
スタッフに気づかれないように、、、こーっそりと、ですけど。

まぁ、とはいえ人生を振り返ってみても、僕はこれまで賞って言ったって、覚えているものでも、小学生の時の、習字で佳作の賞状をもらったような記憶があるくらいで、
ほーんと、賞に縁のないジンセイ、、、、な訳で、、。
でも、そんな僕にでも、ほーんと、一軒一軒、声をかけてくれて、すてきなご家族に出会えて、毎回感動できて、発見があって、日々勉強させて頂いて、、、、、。
賞はなくったって、僕の方が絶対楽しいし、幸せだもんねーっ、賞なんか、、、、ふん、だ。
て、ほぼ、ふてくされつつ、かれこれ53件目。

そう、ISANAは、ニコの53件目の仕事なのです。(その時点で。)
そんな中での初めての電話だったのでした。
、、、、、ちなみに、去年までなんかは、
「、、、、フジモン、まだ連絡ないよねぇ???」
「、、まだですね、きっと審査が難航してるんでしょう。」
、、、てな具合で、毎年5月まで待ってた訳ですが、、、、。

しかも、建築士会の募集テーマに書いてあるんですが、今年のテーマは、おおざっぱに言うと「震災後、あるべき住宅や街の姿とは?」というようなテーマ。
偶然にも、ISANAは、去年の震災直後に誕生しました。
だから、もちろん震災が起こった後に考えたケンチクではないんですが、震災が起こっていてもいなくても、街や住宅によって形作られる日常や、生活がこうだったらすてきだな、世の中、こういう場所がたくさん産まれたら子供達も幸せだろうな、、、、っていう事を、オーナーのバシストさん下窪さんと一生懸命考えて実現した長屋でした。

だから、いつものように、震災が起こる事を予想する訳もなく、
ただただ、バシストさん、下窪さんと一緒に、自分達の描く最高の世界を考えた豪速球。ねらうミットは、いつものようにバシストさん、下窪さんご家族、そしてその街でした。それしか、ジブン、できませんし、、、。
でも、そういう風にして産まれたものが、震災後に必要な世界として評価されたら最高だなぁ、
僕たちが震災以前からずーっと考え続けて、大切にしてきた考え方がこんな機会に評価されたら嬉しいな、、、、、。
もうこうなったら金賞しかないでしょ、狙うのは!

そんな訳で、2次審査までは、もうニコは金賞シフト。

他にどういう候補が選ばれているのか?そういうのは分かりませんし、教えてもらえませんが、
こんな機会、二度とないかも知れないんだから、、、。
思いがしっかり届くように、資料を作ったり、審査員さんの質問に答えられるように練習したり、、、、(笑)

下窪さんも、
「じゃぁ、審査員さん達には、全員いつものチャイを飲んで帰ってもらいましょうね。一番ISANAっぽいから。」
と。

「じゃあ、僕もソラ連れて行きます! 一番ISANAっぽいから、、、。(笑)」
と。

そして、いよいよ審査前日。
そう、なんと審査の前日は、なんとあの東京の大雪の日でした。
「、、、、こんな大雪で、明日審査あるのかな、、。」
てくらいのよりによって大変な日でしたが、きっとこの天気も、ISANAにとっては絶対に追い風になるに違いない、ってなんとなく思いました。
雨が似合う場所だから、、。

さて翌日。
いよいよ当日です。
昨日が嘘のような晴天で、街のあちこちで輝く様な雪解け水が流れていました。
ISANAの屋根からも、奇麗な雪解け水。

うまく説明、できるかな、
説明しなくても、ISANAの素敵なところを、そのまま感じてもらえるといいなぁ、、、。
審査員の方々は、建築界では著名な方ばかり。
当然、僕なんか、、、、ほぼ初対面。
相手も僕なんか、、、、たぶん知らない。
それが、でももはやなんだか逆に僕には嬉しくて、
だからこそ、ぎゃふんと言わせてやろう、と山王と戦う湘北高校の気分。
そんな気分で、審査員の方々の到着を待っていました。
そしていよいよ、到着。

そしたらですね、、、、、。
ここからが、もう、なんていうか、奇跡の様な時間!!!!!
僕が審査員さん達を出迎えて、ちょっとタジタジになっていると、
なんと、子供達が下窪さんちから飛び出して来て、
さっそうと庇の上に登りはじめたのです!
気がつくと、子供達はもう庇の上。
「おーいおーい。ここだよーん!」
と、上から審査員さん達をお出迎え。。。。。。

内心、
「、、、、あのね、、、これは、オジサンの、一世一代の大勝負の場なんですけど、、、。
しかも、みんなとてもエラい人達なんですけど、、、、。」
って気持ちも少しはありつつも、
そーんな小さなコトよりも、
「、、、、そう、これが僕たちが見せたかったISANAなのだ。」
っていう、一番のISANAの魅力を、子供達が表現してくれようとしている気がして、
もう嬉しくて。。。
そう、ケンチクの魅力は、言葉で伝えるもんじゃない。
見て、感じてもらうものなのだ。
そして、それを一番に表現し、伝えるのは、いつも子供達なのだ。
僕が、学生の時から、ずーっと夢見ていた事が、目の前で起こっていました。
嬉しかったなぁ、、、。
もう、審査なんてどうでもいいや。。。。
そんな訳で、終始笑いの絶えない現地審査。

中庭には、下窪さんのチャイの香り漂う、お茶会のような現地審査。
短い時間でしたが、
審査してもらった、っていうよりも、
楽しんで帰ってもらった、っていうようなあっという間の時間。
子供達と、チャイのおかげで、審査委員長の塚本さん初めそうそうたる審査員の方々に、200%くらいISANAを感じてもらえたなぁ、、って思える最高に充実した時間でした。
こんな展開になるとは、夢にも思わなかったなぁ、、、。
だからですね、、、、、
もう、、、、金賞間違いなし。
っていうか、これ以上、楽しい現地審査絶対あるわけないし、、、、。
終わった後は、もうそんな気分♪
さっそく事務所で待ってるニコのみんなにも、
「間違いなく金賞だったから。僕的には。」
とさっそく報告したのでした。。。。。
で、審査結果は、こちら。
審査総評にあるように、結果的には、ISANAは最終の決選投票まで残った結果、金野千恵さんという方の設計された「向陽ロッジアハウス」が金賞を受賞されました。うーん悔しいけれど、しかたない。。。
名前にも「金」ついてますしね、、、。
でもですね、、、、
僕に、僕たちにとっては、もう想像以上の、最高の経験をさせて頂きましたし、最高の評価を頂いたと思います。

ほーんと、いつも以上に、いーろんな人達が関わって、それぞれの手跡のおかげで実現したISANA.
ニコが初めて賞をもらう仕事が、人よりもながーい時間のかかった分だけ、築いてきた仲間達の手跡のたーくさんついたケンチクであったコト。
それを評価して頂けたのが、僕にとっては嬉しかった事かなぁ。。。

そして、この賞は、
僕たち設計者だけでなく、同時に建築主、そして施工者の3者に送られる賞。
作ってくれた山縣さん、
そして、バシストさん、下窪さん、ISANAの住人のみなさん、

みーんなの賞です。
それが、一番嬉しいですねー。

さてさてさてさて、、、、

審査の後は、今度はISANAの屋根すべり、、、。

いつも世界の魅力を伝えるのは、子供達なのだ。
ケンチクカなーんて、ちっとも役に立ちはしないのだ。
そんなあたり前の事を、改めて感じた今回の審査でした。

さて、最後に、、、、、、
震災後のケンチク、震災後の街。
これからの世界のために、僕たちは何ができるだろう?

答えはよく分からないけれど、
それはとても原始的で、小さなコトの集まりのような気がしています。
小さく、でも強く、
みんなが少しだけさしだしたり、受け入れたり、というようなコトでうまれる世界。。。。。
最新とか、デジタルとか、エコとか、、、、
そういうんじゃぁ、、、、、、

きっとなくって。。。。
おしまい。