2011年06月08日

コトノハノ下で

先週末、ギリギリセーフで鷲巣さんの個展に行ってきました。
場所は、風花っていう、恵比寿のバーみたいな場所。

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そういえば、前の個展もバーだったなぁ、、、、
そんなコトを思いつつ。。。。


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たとえば、ケンチク雑誌みたいに、ケンチクをケンチク単体として見せられても、
なんか気持ちが悪いと言うか、それはあんまりハッピーなケンチクとの出会い方ではない。
だから、僕は正直、あんまり美術館とか、好きじゃない。
絵が、エラそうだから。

だって、ケンチクはそれ単体で存在するものではなくて、
まわりの風景や、通りすがりの人や、家族や、家具や、草や、風や、雨や、、、、、

そうそう、
そういうおおざっぱに言うと生活や、日常、
というものと同時に存在するもので、どちらがエラい訳でもなくて、
どっちもなくてはならないもの。

生きる、という中に自然と同時にあればよいくらいのもの。


なくてはならないものは、
大抵、そういう風に、まじり合う混在の中にある。



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僕は絵とか、よく分からないけれど、きっと絵もケンチクも同じで、
日常の、何気ない風景の中に、そっと差し込まれているくらいだと嬉しい。

たとえば、本の栞みたいに。

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僕らは、カンカクを閉じたり開いたり、時々研ぎすましたりして暮らしている。

流れる音楽や言葉に耳を澄ませる事だって出来るし、聞かない事だって出来る。
雑踏の中で、かわいい女の子にだけ集中することだってできるし、
フィールドの中で時間をとめて、パスコースがすっと見える事だって ある。


きっと僕らの中には、優秀な五感のボリュームスイッチがあるのだ。


だから、出会い方の順番はどちらでもいい。

美味しいごはんを食べて、ふと見上げて気がつく絵があってもいいし、
絵を見にきて、出会うお酒があってもいい。
気持ちが忙しくて、結局、絵の存在に気がつかなくったっていいかも知れないし、
好きな人との長続きしない会話のダシになってもいい。


ただ確実で、変わらないのは、そこにある、というコト。


日常にあふれる言葉の中で、忘れられない言葉と出会うような。


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コトバの森の中で、気に入った落ち葉と出会ったら、
そっと本にはさんでおこう。


はさんだ事を、僕は大抵忘れちゃうけれど、、、、、。



コトノハノ下で
そんなコトを考えました。

まぁ、ただ飲んで帰っただけっていえば、
飲んで帰っただけですけど、、、、、。
posted by 西久保毅人 at 01:53| 2011.6月の気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする