ほーんと久しぶりに、
若い頃お世話になった象設計集団のオープンハウスに行ってきました。
東京郊外の、木造の保育園です。

「また、やりすぎちゃったぁ、、、はははーっ。」
って、久しぶりにお会いした代表の関さんがニコニコして、うれしそうに
お話してくれたのが、きっと、すべてを物語っていて、
もう、週明けから開園というのに、工事はラストスパート。。。。
、、、、、金曜ですけど、、、今日。

ケンチクは、できたら素敵ねぇ、、、ですんじゃう事が、
できる前は、なんにも見えないからみんな不安です。
とくに、保育園とか学校とか、規模や関わる人達が多ければ、多い程、
最初に描いた世界を実現するのは、ホント難しいのです。

運営者、保護者、地域、法律、国、時代背景。
みんなの「あたりまえ」が違うから、少しでもこちらがゆるんじゃうと、
じゃあ、無難に、、、、、、って、
流されてしまいます。

最初に描いたイメージを定規にしながら、
いろんな局面で、
どこは捨てて良くて、どこは死守するか?
そんな事の繰り返し。
責任、扱う命が多ければ、多い程、「無難」にすれば楽に違いないのです。
でも、その反面、
子供達が、人間が、ほーんとに、気持ちいい空間て、たぶん、「無難」を選択すればする程、
逃げていくものかも知れません。
でも、目指してるのは、きっと、「特別」なものじゃなくて、
自分達の定規のなかでの、「あたりまえ」や「ふつう」の事。

それを実現するのが、いーちばん、難しいんだなぁ、、、、。
そして、その成果がでるのは、きっと10年後や20年後。
それは、住宅も、保育園も、町づくりも、きっと同じで、
そこで過ごした子供達が、オトナになった頃でしょう。

たとえば、この保育園では、
赤ちゃんから、6才まで、みーんな畳でお昼寝。
質素で、どこにでもある素材でつくられた空間に選ばれたのは、
風にそよぐウイリアムモリスのカーテンという、19世紀のイギリスのデザイン。
天井を見上げると、ほんのり奇麗な夕焼けのような、赤い天井。
そんな、ハッとするような事を、さらりと、、、、。

くそー、悔しいな。
あんまり人のケンチク見ても、こういう感情は湧かないのだけれど、
こういう大きな空間で展開される象のケンチクは、やっぱり特別です。
「ありがてえ、偽物じゃねぇ、、、、」
と、そーんな流川のような気分に、久しぶりにさせて頂きました。(笑)
責任重大なプレッシャーの中でも、
「はははっ、ごめんごめん、やりすぎちゃったぁ、、、。」
て言える人に、僕も、、、、、なりたいな。