たくさんあります。
大抵、僕が、街を歩いていて、「おっ、いいな、素敵だな。」と思うものは、
なぜか、大抵、突き出しているのです、、、。

突き出るって、言葉は、なんか、暴力的ですね。
でも、実際に、建ものから突き出した、ひさしや、軒や、ベンチや、、、、そんなしつらえは、
逆に、やさしいと言うか、親しみやすい感じがします、、、。
そんなコトを、ちょうど今日考えていて、庇(ひさし)の語源て、なんだろう、、?
って、ふと思いました。
ひさし → 日・射す → ひ・さす → さす? 、、、、、さしだす?

ホントの事は知りませんよ。
あんまり、ホントの事に、興味ないタイプなんで、、、、。
でも、ひさしの、さし、って、さしだす、かもなぁ、、、とちょっと確信しました。
調べるの、苦手なんで、調べませんが、きっとそうです。

さしだす。
ようは、自分のものを、他人に分け与えるコト。
分け与える訳だから、「減る」訳ですよね。
「減る」って、ことは、「損する」訳ですよね。
「損する」訳だから、「ムダ」ってコトですよね、、、。

でもね、
そういう、「さしだされた」デザインや街の小さなしつらえに触れると、
なんか幸せになりますよね。
下町とか、、、、。
それは、ケンチクでいうと、内部の生活のためには、全然関係ないしつらえだからではないでしょうか?
外部のためのデザイン。
外部って言うのは、人もそうだし、ネコや、イヌや、植木や、鳥や、雨や、風や、光や、、、、そんなモノたち。

そんなモノ達への、ちょっとしたしつらえ。
そんなモノ達へ、ちょっとだけ「さしだす」というコト。
「さしだす」から、「損して」「ムダ」で、「減」ったかわりに、
たくさんのモノ達が、寄り集まり、守られ、幸せな気分になります。
「さしだした」もの以上に、「獲得」するもののほうが、ゼッタイに多いのは、
これは、もはや、算数では、表現できません、、、、。

例えば、これから、被災地で住まいを失った人達、
放射能で、産まれた場所を離れざるをえない人達が、
縁もゆかりもない場所で、
見ず知らずの人の中で、不安な生活を始められるでしょう。
悪夢と、不安から、解消されるのに、どれだけの時間がかかるでしょうか?
ケンチクが、できる事の一つは、
どんなに小さくても、さしだすデザイン。
ちいさな、ちいさな、ちいさなしつらえ。
それは、きっと、外をつつむかたち。
20世紀の日本のケンチクが、捨ててきた かたち。
、
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