
プロサッカーの審判だった方のもので、要するにサッカーというスポーツに、
なんで審判という役割ができたかという事や、もともとはそもそも審判はいなかった、
という事などなど、書いてあるのですが、そういう事をふまえて、
主審は「請われてピッチの中に入った」のである、普通、人にモノを頼んだら、
その出来具合にケチをつけないのは最低限の礼儀だろう。
ていう言葉が書いてあり、ちょっと思う事あり、ハッとしました。
そうそう、昨日の日韓戦も、審判、微妙でしたが、おかげで余計白熱しましたね。

前から話題ですが、最近またよく耳にするようになった、
モンスターペアレント。
そもそも、言葉が良くないですが、スポーツに例えたら、審判にやたらたてつく
選手の親みたいなものでしょうか?
まぁ、個人競技だったら、どうぞご自由に、、、、と思うんですが、
集団競技は訳が違います。
もちろん、誤審や、間違いは試合中にたくさん起こるし、当事者はムカついたり、
腹が立ったりします。でも、同時に試合は流れている訳で、チームのの最終目標は
試合に勝つ事。そこを見失ったら、試合はめちゃくちゃです。。。。
どんなにひどい審判でも、試合が始まったら、ゆだねるしかない。
それは、あきらめでもなんでもなく、それが、集団のルール。

政治にしても、教育にしても、
そういうカンカクが、めちゃくちゃ麻痺してるような気がします。
特に学校の先生なんかは、一人で40人近くの子供を預かる訳なので、
サッカーの審判よりも責任重大。
もちろん、ルールは勉強していても、現場で起こる様々な事は、
きっとルールブックに載っていない事ばかり、、、、、。
サッカーの審判並みに、瞬間の状況判断が求められるのでしょう。
失言もあれば、ミスジャッジもあり、、、、、、。
そんなのをいちいち、指摘されたら、
子供の顔の背後に、親の存在をいちいち想像しないといけないとしたら、、、
そんな仕事、やってられませんし、
子供と純粋に向き合い、ジャッジする事なんか、できないでしょう。
そして、それは、同時に教室にいる子供達に、
「親におびえる格好わるい大人」としての教師像を植え付けるでしょうし、
それが教室の空気になって、そんな中で、自分の子供が1年過ごすなんていう
事を想像しただけで、、、、ぞっとします。
そんな空気を作るくらいなら、多少の事に目をつぶった方がよっぽどいい空気が
できるでしょう。

子供達にとって、良くも悪くも、学校の先生はかっこ良くないといけないし、
間違ってても、正しくても、自分の価値観でジャッジをする大人、でいてもらいたい。
そして大人は怖くないといけないのです。。。。
何でもかんでも、お客様目線ではなく、
親なんか無視しちゃっていいからさぁ、、、先生をしっかり守る社会の体勢やムード作りをしないと
結果的に子供たちがかわいそうだなぁ、、、と思う訳でした。
たまたまちょうど、今日、
ノノが赤ちゃんの頃に、御世話になった保母さんとお話する機会があり、
「いっつもね、、、クビを覚悟で判断して、子供達を預かってたわ。
コドモ達、ケガばっかりするから、、、、。」
という言葉を聞いて、子供を預かるという仕事の責任の大きさを感じました。
そのプレッシャーといったら、すごいだろうなぁ、、、、とも思いました。
ホント、ステキな先生でした。
そういえば、余談ですが、僕の佐賀の友達、先生になった人がとっても多いのです。
僕も、一時期、先生を目指した事もあるくらい、先生を目指す人が多かったです。
それは、小、中、高と、出会った先生達が素敵で、面白かったからだと思いますが、
今思うと、そういう素敵な先生達を、素敵なままでいさせてくれたのは、
今思えば、僕らの親達が、先生を尊敬して、任せていたからだろうなぁ、、、、
と思うのです。
だから、先生がのびのびしてだんだな、、、、。
僕らは、ジブンでできないから、他人に頼んでいるのだ。
だったら、文句いわないか、その場から去るか、
どっちかにしたらいい。
先生という仕事が、もっと守られるといいなぁ、、、、。
、、、、と、そんなコトを思いつつ、、、。