工事を見に行くと必ずかかる病。
「このままが いいじゃん病、、、。」
宗次さんちでは、
たとえば、コンクリートの上に、まだはがしていない木の型枠が
乗ってると、
「このまま はずさなくてもいいじゃん。。。そのまま仕上げに
したら、コンクリートの保護にもなるし、、、、。ね、、、、。」
そんな訳で、10年くらいしてからはがせばいいんじゃないかなぁ、、、。
とか。

階段も、踏み板付けなくても、このままの方が、なんていうか、
象の鼻みたいでかわいいし、、、、、とか、

鷲巣さんちでは、
もう、あまりにも、下地にするにはもったいないくらいの、
こんな木擦り下地を作ってもらっちゃうと、

「、、、あの、下地があまりにキレイなので、
できれば、2.3年はこのままを楽しんで住んで頂いてですね、、、、、、。
仕上げは、そのうち、、、っていうのでどうでしょう?、、、。」
とか、

天川さんちでは、
コンクリートがあまりにキレイに打ち上がると、
「もう、、、、すみませんが、窓すら付けたくありません、、、、。」
ダメですか、、、、。
とか。

よし、じゃぁ、まぁ、100歩ゆずったとして、
僕のわがままだけでは、通用しないようなら、
この下地に機能を与えたら、どうだろう、、、?
そうそう、仕上げるよりも、この方が便利よねって思えるような、
もっともらしいいい訳はないかしら、、、、?

例えば、ほら、このままだと、ある意味、ちょっとした棚みたいな感じで使えますし、
ほら、新聞とか、雑誌とか、させたりですね、、、、。
くぎも打ち放題。
で、飽きたら仕上げちゃえばいい訳ですし、、、、、。とか。
という訳で、進行中の現場へ行くたんびに、僕の頭の中は正直こんな感じです。
でも、よくよく思うと、こんなに隠したくないと思うくらいの、
下地工事をしてくれる職人さん達だから、こう思うわけで、
逆なら、
「いっときも早く隠したい。」
と思うんだろうなぁ。
そういう意味では、設計者としては、職人さんに恵まれてるなぁ、、、
と思います。

くだらない妄想のようですが、
要は、現場で感動するから、こういうキモチになる訳で、
その
「あぁ、どうしたら、この感動を完成まで引っ張っていけるか?」
と、一度常識や経験を全部捨て去って、
モノや設計の始めの気持ちにむきあう事が、
現場で僕が大切にしてる事です。
以前は、たくさん経験すれば、いつの日か直るかな、、?
と思っていたんですが、
むしろ、作れば作る程、
「このままがいいじゃん病」
直る見込みなく、
悪化する一方です。。。。
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