2010年03月26日

ピアノの中の小人達

実は昨日、西久保家にピアノが来ました。


まぁ、我が家がピアノを買うなんてコトはないだろうな、
とずっと思っていました。

値段も高いし、大きいし、そこまでの覚悟はないな、と。
しかも、今後、ピアノと一緒に引っ越しするなんて、
ただでさえ子供が3人いるだけで家探し、面倒なのに、、、、、。


そんなある日、ケーコ先生のお知り合いが、ピアノを引き取ってくれる
人を捜しているとのコト。

もし頂けるなら、ぜひ、、、、。

と、半信半疑で立候補していましたら、トントン拍子に話が進み、
昨日到着したのです。

古いピアノだとは聞いていたのですが、今日、調律の人が来て、
中を開けてみてビックリ。

なんと、昭和41年のピアノ。
つまり、45歳くらいのピアノです。

素敵だなぁ、と思ったのは、ピアノを調律するために空けると、
中には調律カルテみたいな紙が入っていて、購入された昭和41年の第一回目から、
調律するたびに、その日付と、調律師の名前だけが、刻々と刻まれていたのです。

すごいなぁ、45年。

973.jpg

やっぱりもらったすぐは、変な音がしてたので、
調律師さんに来てもらったのですが、
ピアノの中身があまりにきれいで、
ちょっと見とれてしまいました。

僕だったら、この中身、構造現し仕上げにしたいところだけど、
きっと隠すのが粋なんだな、たぶん、、、、、。

さて、ノノとピアノを初めてから、すごく感じてたのは、

「ピアノって打楽器だなぁ。」

という事。

正確には、弦打楽器といって、弦をハンマーで叩いて音を出すような仕組みです。

なので、ピアノの中身は、たくさんのハンマーと無数の弦がいっぱい。
とにかく、見とれてしまうくらい、キレイです。

一本一本、鍵盤をはずして、弦を締めながら調律してもらったのですが、
定期的なこういうメンテナンスだけで、45年、そしてこれからも
キレイな音色を出せるなんて、、、、、。

そもそもケンバンて、外れるのですね、、、、。


例えば、ちょっと考えてみても、パソコンなんかは持って5年。
携帯も数年。
家電もテレビも、長くて10年。

パソコンなんかは仮に10年持ったとしても、もう、使えないくらい
処理速度が遅くて価値はゼロです。

要するに、僕たちの身の回りにあって、なくてはならないくらいに
価値がある気がしているモノ達は、
実はホンの数年経ったり、水に濡れるだけで、価値のなくなるものばかり。

しかし、なぜか現在成長している産業は、そういうモノばかりですね。
要するに使い捨てを前提にモノが作られています。

そういう世の中でのモノ作りに要求されるのは、とにかく安くて早く
作れること。建て売りやメーカーの住宅もそうなってしまっています。

消費するためにモノをつくる時代。
エコエコといいつつ、要するに、ゴミを作っている訳です。

長持ちすればするほど、価値がなくなるっていうのは、ちょっと
切ないなぁ、、、、と思います。
作るのも切ないです。そういうものは。
だって、使い手がどんなに愛情をかけても、意味がないわけだから。

970.jpg

そういう今の時代の価値観と、真逆のこのピアノ。
なんか、僕が目指すケンチクのようでもあります。

だから、なんか、とっても嬉しかったし、感動しました。
昭和41年。1966年。
その時すでに、ピアノ職人だった訳だから、きっと作った人達は、
戦前の生まれでしょう。
日本の高度成長期の職人さん。

自分が作ったピアノが、長く、長く、愛されるように。
誰かが修理してくれる時には、やり易いように。

そんな職人としてのプライドにあふれた時代です。


969.jpg

これなんかは、ゼッタイに、ピアノの中の小人達をイメージしたのでしょう。

、、、、、ですよね?


、、、、などと、調律師さんの背中を見つつ、
そんな妄想をしておりました。


何はともあれワラシベ長者のような偶然で、ピアノが我が家に来た訳なのでした。
我が家の家宝として、大切にしたいと思います。


それにしても、
よく他人にモノをもらう一家です、、、、、。








posted by 西久保毅人 at 01:01| 2010.1月〜3月の気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする